明日も手をつないで 鳩野 深透
2004年3月発行 『フロンティア』収載


広い銀河のとある惑星に、カジャとティーロという兄弟が、仲良くよりそってひっそりと暮らしておりました。
二人は白氏と呼ばれる、いささか特殊なコミュニティに暮らしていましたが、その事実はその時点では兄弟に一定以上の影響を与えてはいませんでした。
これは、今から130年近くも昔のお話です……。



「兄さん、準備できた?」
 ティーロが彼の部屋に声をかけると、兄は軽い足音を響かせて自室から顔を覗かせました。
白い肌がわずかに高揚しているのは、彼が以前からこの日を楽しみにしていたからです。
「待たせたか?すまないな、手間取って」
 今日は二人で買い物に行くのです。カジャは、長じて成長も止まり始めた弟のために礼服を見るつもりでした。
「黒がいいかな?まだ若いんだし、紺とかもいいかもしれないな」
「兄さん……僕はそんなつもりじゃないのに」
 カジャの考えと裏腹に、弟本人は、その目的にはあんまり乗り気ではありません。
兄さんが自分のために色々考えてくれることは嬉しいけれど、
「だって結婚とか、いやお見合いとかしたら、絶対いることになるんだぞ?」
「だからそんなの当分しないってば!」
 この見積もりが彼には重いのでした。
「……しないのか?」
「……ま、まだ」
 ちょっとだけ残念そうな兄の瞳から目を逸らしてしまいます。
そのふわふわの髪の毛や大きな瞳がどれだけ弟を追い詰めているのか、カジャはさっぱりわかっていません。
本当は、兄さん以外の誰とも付き合いたくなんかないのです。
「……僕は兄さんがいれば充分なのに。」
 けれどそんなことを聞いたらカジャは悲しそうな顔をするに決まっているので、ティーロはこっそりと呟きます。
「あ、でもその前に学校の入学式や卒業式もあるしな」
 カジャは思い出したような笑顔でもう一つの大義名分を口にしました。
「兄さん……つまり服見たいんだね?」
 図星を当てられた兄は、照れたような可愛らしい笑顔で見上げてきます。
「たまには兄らしいことをさせなさい」
 そんな言葉ももう、その表情に鼓動を早くしている弟には耳を通るだけで聞こえていなかったりするのですが。


 休日のことで、ショッピングモールは大盛況でした。
実は二人ともあんまり人ごみは得意ではありませんでしたが、弟は着いてから本当に元気のなくなったように思える兄をかばうようにして歩きます。
「大丈夫?休んでく?」
 横目でファーストフードを見ながら気遣う彼に、カジャは申し訳なくなりました。
「大丈夫だ……。すまないな、こんなの。情けない」
 ぎゅっと手を繋いで、
「気にしないで。でもそうだね……人が多いのはどこも同じだし」
 見渡しても人人人、普段からそんなに外出するほうではないカジャはそれだけで圧倒されてしまいます。人ごみから発せられる雑多な思念が、接触しないまでもその膨大な量で彼の精神に大小の波紋を呼ぶのです。
兄のすぐれない顔色を見たティーロは、自分の能力で一気に愚民どもを一時的な×××にしてしまおうかと早まりかけましたが、そんなことを兄さんが許すはずもありません。
その代わりに手を繋いで腕を絡め、これも自分の能力でせめてシールドを助けながら、それはそれで少しだけ幸せを味わっている弟さんでした。


 フォーマルスーツやドレスを扱う界隈まで来ると、客はふっと途切れるように少なくなりました。
弟のスーツを兄がああでもないこうでもないと言って漸く選ぶと、二人もちょっとした物珍しさで辺りの店を見て回ります。
「か、可愛い……」
 兄が会計を済ませている間に弟が見つけていたのは、薄い柔らかそうな生地の真っ白なキャミソールワンピースでした。
オーソドックスで清楚なデザインに、控えめなフリルとリボンが可憐さを際立たせています。セットのカーディガンは薄い細い毛糸で編んであって、あまりに人を選ぶデザインではありましたが、きっと兄さんの無垢な笑顔には似合うに違いありません。
間違った思考を承知でうっかり財布を取り出しかけた彼に、
「ティー?何を見てるんだ?」
 用を済ませたカジャは、弟が何か熱心に見ているのに気づいて声をかけました。
「ななななな、なんでもないよ!?」
 動揺して声を裏返しながら財布をしまって視線を逸らすと、
「……こういうのがすきなのか?ティーもなかなかセンスがあるな」
(ええー!?)
 ティーロが慌てて見つめなおした先にあったそれは、背中に昇り龍を、胸に猛虎をあしらったハイセンスなスーツだったのです。
「に……兄さん違」
「欲しいなら遠慮しないでいいんだぞ?」
 にこ、とカジャは少女のように、顔色の悪い弟に笑いかけました。


「……本当にいらないのかー?」
「兄さん……もしかして着せたいの……?」
 心で泣きながら弟は兄の小さな手をひいて、一刻も早くその売り場から離れようと歩きはじめました。
「じゃあどこいくんだ?」
「どうしよう。兄さん休みたい?僕は(あそこから離れられるなら)なんでもいいよ」
 二人は喫茶店を探してエスカレーターに乗ります。
けれど一階のフロアで、カジャはすぐに足を止めました。
「ティー、婚礼衣装だ」
「え」
 そこは結婚相談所と一緒に、花嫁衣裳の展示場になっていました。
花婿の衣裳は添え物とばかりに隅に二三着が並んだきりですが、ウェディングドレスやさまざまな民族衣装は目にもあざやかです。
「ドレス可愛いな。……こういうのが似合う娘だったらいいなあ」
 いつか可愛いお嫁さんを連れてくるんだろう?
 弟の胸がずきんと痛みました。兄さんがあんまりきれいに笑うから、本当にそう願っているのだと彼には判ってしまったのです。
「……僕はまだ、そんなこと本当に」
「……そうか」
 相手の声に何か感じたのか、兄はあっさり引き下がりました。
「それに、兄さんだってきっと似合うよ」
 くすくすと笑ってティーロは言います。
「もう、すぐそんなこと言う」
 少女めいた横顔はすねたように答えますが、
「きっと可愛いって。……着てみない?」
 駄目もとで押してみました。この人は男の子のはずなのにフリルやレースに違和感がない稀有な人なのです。
(むしろ)
「兄さん以外の誰が似合うって言うんだ……」
 これまた女性だってなかなか着こせなさそうな、どこかロリィ調のデザインの衣装を手に呟きます。そこに、店員らしき人がやってきました。
「ご試着ですかー?」
「はい」
「ティー!?」
 反射的に答えてしまった弟に兄が抗議の声を上げます。
「着るだけだから大丈夫だよ」
「大丈夫って……」
 不安そうなカジャに、
「大丈夫ですよー。やっぱりこういうものはね、ご試着していただかないと後から大変ですし。お二人一緒にいらしたときのほうが何かといいでしょう?お式の日程はお決まりですか?」
 店員さんは、にこやかに途切れることなく営業用の口上を述べます。
「じゃあこちらとかいかがでしょうか?とっても可愛らしいお嫁さんになると思いますよ」
薄い絹の生地を差し出して、彼は何の迷いもなく言い切りました。


「やっぱり可愛い……」
 嬉しい勘違いをしてくれた店員のことは、しかし追い払ってティーロは花嫁衣裳の兄に見惚れました。
フリルと花と刺繍に彩られた風変わりなデザインの衣装は、七分ほどの丈の裾から、白い足がすっとのびています。
恥ずかしそうな様子が一層初々しくて、恋人気分そのものに浸った弟は幸せそのものです。
「あ、これ」
 大切なものを忘れていたと彼は白い小さな頭を引き寄せ、
「ティー?」
 ふわりと薄布を愛らしい顔立ちにかけました。
「ちょっと動かないでね……髪に止めるから」
 細かいビーズが、何かの拍子にしゃらしゃらと鳴り、
「はい、完成」
 ヴェールを頭から肩に散らせて、本当にいとけない花嫁のようになった兄を彼はそのまま抱きしめました。
「わ、ティー!駄目、皺になるだろう?買えるわけでもないのに」
「僕はこれなら買ってもいいな」
 愛しい人を腕の中に閉じこめて、夢心地で呟いたティーロの額に、
「こら」
 こつん、と小さなこぶしが押し当てられました。
頭一つ以上の身長差の下から、少女めいた大きな瞳が見上げてきます。
「……だって本当に似合うし」
 透けるようなうなじが、華奢で儚げでまるでそこだけ空気が違うようで、弟は心から言いました。
 けれどカジャは、困ったようにしてとりあいません。
「そんなことばっかり言ってふざけて」
 ふざけてないよ、ほんとは兄さんをお嫁さんにしたいんだよと言いたかったのですが困った顔を見るのは苦手なので、彼はその代わり白いひたいにキスをしたのでした。


「……で、あれ?結局買ってきちゃったのか?」
 二人の小さな宿舎です。
お風呂を済ませたカジャが、彼の部屋に入ってきて、昼間の店の包み紙を見つけました。
「あ、え、うん。……ヴェールだけ」
 ティーロは少々気まずさを覚えながら言います。
花嫁姿が忘れられず、兄が目を離していたうちに、自分でこっそり会計を済ませてしまったのでした。完全に自己満足ですが、
「きれいだったから」
 言い訳に、解ったような解らないような顔をしてカジャはぽふ、と弟が寄りかかっていたベッドに乗り上げました。
その無邪気さが彼には痛くて眩しくて、それでも捕らわれ続ける理由でした。
「……兄さん」
 背中を向けたまま、ただ呼びたくて呟くと、返事代わりにベッドから手が伸びてきて、絨毯にクッションを敷いていた自分の頭をなでていきます。
 それに慰めに似たものを感じ取ったのは、完全な主観ではありましたが、弟は少しだけ気を取り直しました。
ベッドに腰かけ、寝転がっている兄と視線を合わせます。
「ね、僕のこと好き?」
「好きだよ」
 カジャは、花のような笑みとともに即答しました。
いつだってこと弟に対して、彼はその言葉を惜しんだことはなかったのです。

宇宙の闇は深く、星々は永遠を寸断して輝き、けれど二人はまだ、幸せを失ったことがありませんでした。