恋の玉座 鳩野 深透
20051229発行 『天国に落ちろ』収載



 ある夜、ニコラルーン・マーベリック少佐五十二歳は不思議な感触に目覚めた。
 横向きに寝ていた彼の首を、上からやさしい腕が抱いているようだった。それだけなら別におかしくはなかった。
 少数の例外を除いて万人受けする物柔らかな美貌、相手を気持ちよくさせるのはあらゆる意味で得意だ。決して表立っては言わないが。
 だから自分が寝込みを襲われること自体はありえる事態で、基本的に彼はくるもの拒まず、けれどこれは勝手が違った。
 ここ一年ほどそんなただれた性生活とはぱったり縁を切っているし、今この部屋の中には自分以外にはたった一人しか眠っていないはずだ。
 白い華奢な身体。少女のような可憐な面差し、柔らかい髪が頬に触れている気がする。
 媚を知るはずのない指先が、けれどなぞるようにして自分の頬を探った。
(ああ、やっぱり……小鳥みたいに軽い)
 腕の持ち主は、小さな吐息をもらしたようだった。気づかないうちに毛布越しに感じられるようになった細い身体が、小さな心地よいリズムを伝えてくる。
 唇にふわりと甘い感触がおりた。
 男は飛び起きた。スイッチを探ると明かりの中に、恥じらいに消え入りそうな白い項がうかんだ。

「ご、ごめん……なさい」
「別に謝らなくても……」
 きもちよかったし。
「でも、どうしたの?」
 普段の彼の行動からするとものすごく不自然だ。おかしいといってもいい。
 うつむいて白い髪に繊細な顔立ちを隠そうとしながら、カジャは言葉に詰まっている。最近髪が伸びたようだ。自分で自分を抱きしめている細い二の腕を、ニコラルーンは両手を伸ばして掴んだ。
「や……!」
「先に人の寝込みを襲ったの、君じゃないかなあ」
 しかもお願いとか、言われた気がする。
 そうくすくす笑って言ってやると、けれど一瞬身をひいたきり逃げなかった。そのまま腕の中で震えている。
 この小さなうさぎの唐突な行動の理由に、ひとつだけ心当たりがないでもない。
(いや、でもまさか)
 充分に近い距離を、さらに優しさで埋めるようにして髪を抱いた。
「ね、どうして、こんなことしたんだ?」
 今度はなだめるように言っても、白い頭はいやいやをするように振られるばかりで要領を得ない。
 密着して、カジャをひざの上に乗せている。とくんとくんと心臓の音が、愛しいほどに伝わってくる。
 ふと、脚を少しだけ動かして、彼はバスローブの白い膝を巧みに割った。
「えっ……」
 花の茎のような、痛々しいほどのくるぶしが布からこぼれた。羞恥と咎める色を含んで、オレンジ色の瞳が男を見た。
「こういうつもりじゃなかったの?」
「ち、ちが」
 軽い身体を膝から引き離して、寝床の隣に横たえさせる。夜着の乱れた裾をわざとそのままにして、もう一度柔らかい唇に触れた。
 寝台がきしんだ。



 押し殺した喘ぎを聴きながら、男は膝のまるみの裏側に口づけた。
 片膝から下のみに触れるだけでも、自分の手指でこの幼い肢体は大きく震え、しゃくりあげるような喘ぎで愛撫にこたえる。言葉と裏腹の、反応の素直さが愛しかった。
 可憐な顔立ちを枕に押しつけて震える様子は、この位置からは見えない。視界に入るのは敷布に散る長い髪。半ば露わになっているのが痛々しいような項。きれいにのびて、ある時点から永遠に成長を止めた背骨……。衣服は腰のあたりまではだけて、そのまま溜まっていた。
「ぁ、あ……、……っ」
 脚を弄ばれるままに焦らされて、彼は泣きじゃくるようにいやいやをする。
「結構気持ちよさそうだよ?」
 その声に揶揄を感じて、おびえたように振り返った。見せつけるように笑ってみせる。
「私は脚以外、どこにも触ってないのに」
 言いながら足指の間に爪を立てると、細い全身が息を詰めたように染まった。
「や……!」
 再び枕に顔を埋めて耐えようとするのを許さない。ここまで丹念な愛撫を続けてきたのはこの先のためだ。
「これ以上のところにも触ってほしい?」
 一度スイッチが入れば敏感な割に、快楽のキャパシティの狭いこの身体も、これだけではさすがに物足りないはずだった。もちろん本来なら、こんなことくらいで彼の概念が切り替わるはずもない。息を乱すはずもないのに。
「今日はまたずいぶん、はしたないね」
 ニコラルーンは、相手がどんな言葉で耐えられなくなるのか知っている。散々なぶった脚を解放して、そのまま仰向かせていた。顔をそむけようとするのを止めながら、下肢に指をしのばせて。
「ほら、こんなに、ずっと触ってもいなかったのに熱くなってる。」
 指先で軽くはじいた。
「この時期だから?本当は違うんじゃないのか?ねえ、いつも男にこうして欲しがってるくせに」
「や、ち、違……!」
 濡れた音を殊更に聴かせてやると、悲鳴のように否定した。
「嫌、お願い、やめて」
 途切れ途切れに哀願するのは、堅い殻に長い時を護られつづけた無垢性だと知っている。
 敏感な身体におびえて、自らを誰より糾弾している……。
「――こんなに、白氏が潔癖だなんて思わなかった」
 その一族のことを意識に上らせるたび心に冷たい刃を感じるのを知っていて。
「自分だけは違うと思ってるから?こんな汚いことで快楽を得るはずがないって思ってた?」
 彼はおびえて瞳を伏せる。
「ねえ」
 胃の内側から、吐き気とは違うものが這い上がる。唇が笑みのかたちを刻んだ。白い肌の内側を指先でこじ開けるように暴いて、
「……さっきから酷いこと言われる度に、すごい、締めつけてるの。なんで?」
「嫌ぁ……!」
 細い身体がもがいた。頭を弱々しくうちふった拍子に、涙が零れて頬をつたった。


 彼の中は、思った以上にきつかった。
 正体をなくしたまま泣きじゃくるのを抱いた。少し動くだけで、おびえて子供のように縋ってくる。
 ちょっとやりすぎたかな。
 反省して、なだめる風に口づける。なでてやると、少しだけ落ち着くようだった。
「ごめんね」
 けれどどうして謝られたのか解ってないように、ふるふると白い頭を振って肩を震わせる。
 いつもこんななら可愛いのに。そう、どこかで思った。
 いつも?



「うわー……」
 瞬きした瞬間眼が覚めた。
 先日、白氏に発情期があると聞いたばかりだ。それであれこれ想像しながら眠ったのが昨夜。
……自分は一体カジャ・ニザリに、どんな夢を見ていると言うのだろうか。
 白い身体の代わりに枕を抱いていた。虚しくなって床に投げた。
 白氏の発情期ってちょっとすごいらしい。だからってあれはないだろう。多分ない。ないはずだ。いやでも。
……多分「お願い」はないだろうけどちょっと楽しみだなーなどと思ってしまう、そんな自分が十分おかしいことに彼はいまだ気づかない。
 ていうか、やっぱり春だろうか。
「うーん、三月のうさぎはどーたらこーたらってあったような……」
「三月?」
 うさぎと言われると自分のことかと思ってしまうようになったかわいそうなカジャ・ニザリが、隣で不満げに首をかしげた。
「あ、こっちのはなしだよ」
 さらりと今朝の記憶を遮断して笑う。
「早く春が、来ないかなって」

さてそれから時間は早く流れ、しかし特に関係が発展するわけでもなくカレンダーがめぐり、白い小さな花が馥郁たる薫りを撒いて木々の芽が萌える季節を迎えても、ニコラルーンの隣の白氏は特に変化を見せなかった。

「……なんで!?」
 結構自分で思ったよりも期待していたらしい自分に気づいて、金髪のラフェール人はブランデーグラスをテーブルに叩き置いた。そして、
「何をおっしゃるものですか」
 予想外の人間の出現に、ブランデーを吹いた。
「な、なん、ドクターアラムート」
「私にもいただけますか」
 眼が据わっている。恐る恐る渡したグラスをぐいーと傾けてサラディンは言った。
「あなたは随分都合のいい予想が外れてつまらなそうですが、そんなの当然予想できて然るべきではありませんか」
 ずけずけと言う台詞以上に、口調が情け容赦なかった。アルコールのせいではないだろう。彼はアルコールには論外なまでに強いし、万一にしてもまわるには早すぎる。ルーシーと何かありましたか(もしくは何もないのですか)と訊けるほどニコラルーンは命知らずではなかったので、おとなしくその言葉に訊きかえした。
 蓬莱人は、美しく唇の端を上げた。
「だって、あの子はまだ子供ですよ」
 とても楽しそうだ。
「うさぎでいえば2ヶ月というところですから、さすがに発情期も何もあったものではありません」
「え」
「だから言ったでしょう?カジャに手を出すのは犯罪者だと」
 ニコラルーンはぽかんと口を開けた。
「期待する方が愚かなのですよ」
 サラディンはそこまで言って、さすがに少し身につまされたかのように眉を寄せた。それから仕事があるので失礼しますと言ってあっさりと消えた。
 取り残されたラフェール人は、呆然としながら、待ち望んでいた春の色を窓の外に見つめていた。