ささぶね 鳩野 深透
20080917




 笹舟の作り方を教えてくれたのは確かにその子だったが、どちらかといえば私の方がたくさんつくってあげた気がする。

「葉っぱの両端を折って、ね。切れ込みをつくって、それを交差させて舟にするの」
 うさはなんだか何を話すにも一生懸命にしているようなところがあるが、私にとってそれはどこまでも愛らしい要素でしかない。しかしともかく、基本的には不器用極まりない子だった。
「……あれ。変」
 きょとんと首をかしげている。浮かんだ舟は浸水して、あっという間に沈んでしまった。
「うさ?ちょっと貸して見せて」
 渓流のほとりだった。私たちの住んでいる界隈はまだ拓けていなくて、少し歩けばすぐに清らな流れに行き当たる。夏の初めで随分と蒸したが、夕方を迎えて気温の方は下がり始めている。
「切れ込みを入れすぎるんだと思うな。こうして、右から丁寧に押せばちゃんと沈まずに流れるよ」
 私は見よう見まねで舟をつくり、流れに沿うて無造作に進水させた。それは電光石火の素早さでうさの目の前を通り過ぎ、
「あ」
「……あ」
 オレンジ色の大きな瞳は、成功した舟の観察をし損ねた無念さに少し翳った。
「あー。ごめんね。もう一回つくる?」
 よくわからない罪悪感に捉われて、私はうさに申し入れた。実際殆どおもねっていると思われても仕方がないくらい、既にその子のことが可愛かった。答えも待たずにぷち、と葉をちぎってその他愛もない細工を五秒とかからず完成させ、彼に渡すと今度はぱあ、と明るい顔で笑った。
「……笹の方はこれでいいかな?」
 その一枝を藪から自分の方へ引き寄せた。そもそも七夕の笹を切りに来ていたのだった。危ないからね、と言ってうさを少し遠くへやっておいて、小さな鋸で枝をぱちんと切った。二人で持って帰って短冊を吊るしたのだが、彼が書いた他愛ない願い事のうちの一枚に、笹舟がじょうずにつくれるようになりますように、というのがあって私は楽しくなったものだった。

◇◇◇

 さらさらと澄明な音が、あたり一面かすかに鳴っている。
 その合間を縫って、ごとん、ことり、ごとん、ことりと言う不思議な音が聴こえる。嫌な音ではない。強いて言うならば昔ニコラルーンが、幼いころに故国で見た水車の回る響きに似ている。ごとん、ことり、ごとん、ことり。それから目を閉じていてもわかる、世界がゆらゆらと揺れている……。
「――うさ?」
 身を起こした。なんとなく想像していたことだが舟の上だった。辺りは薄闇に包まれていながら、雪の夜のような不思議な明るさがある。空には綺羅星が一面広がっていたが、知っている星座がひとつもないことが奇妙だった。
「せんせい」
 振り向いたうさは川へ身を乗り出していたので、ニコラルーンは焦って手招きをした。きっと落ちたら二度と帰って来ないのだ。水面は銀色がかった靄に薄く滲んでいた。両岸はしかとは見えなかったが、きらきらと夜露が光るのでその存在が知れる。
「うさ。ここ、どこだろ。わかる?」
 揺れる舟の上を危なげなく歩いて、うさはこちらまで戻ってきた。それからにこっと笑って言った。
「天の川」
「……milkyway?」
 思わず英語を使ってしまうとうさは耳慣れぬ言葉に少し怪訝そうな顔をしたが、
「昼間、笹舟つくってくれたから。あの川に続いてる」
「へえ……」
 うさは、藍色の濃淡の美しい浴衣を着ていた。薄紅色の帯が大層目に鮮やかだった。つい先日に彼が手に入れて着せてあげたもので、華奢な身体によく似合って嬉しかった。
「ずっとね、毎年してたから、気になってたの。せんせいありがとう」
「え?」
 舟に分けられて両側を流れるのは天の川だという。舟は鮮やかな翠色をしていた。私がつくった舟ということだろうか、とニコラルーンは考えたが異国の外交官の理解の及ぶ範疇の出来事ではなさそうだった。床の素材も欄干の素材も、どこか硝子めいた不思議な質感をしていた。
 この子がいるのだから別にいいや、と思考放棄を行って小柄な身体を抱き寄せると、うさは嬉しそうに一度頬を寄せ、しかしすぐに立ち上がる。平素の歩行から不思議な平衡感覚に基づいている子は、舟の上でもあまりよろめかない。運動神経は無に等しいのに。
 彼が何かを招くように片手をあげると、その姿が淡くひかった。
「……うさ?」
 ぱさり、と何かの羽音がした。小さな手の先に鳥が止まっていた。鴉より少し小さく、尾が長い。あどけない声が、不思議と神さびて響いた。
「ここまで送ってきた。あとはちゃんと行けるな?お前は、使命を果たす」
 鳥はもう一度羽ばたいてから、ガア、と鳴いて飛び立った。その一羽の後に両岸より同種の鳥が連なって続いた。それを見送る彼の髪が、鳥の羽の生み出す風に揺れて、ふわふわふわふわと光を零した。

 大分長い間呆気にとられていたようだった。
 うさはいつの間にか戻ってきて、じっとこちらを見つめていた。それだけならいいのだがなんだかしゅんとしていて、ニコラルーンは驚いた。
「せんせい、びっくりした?」
「えーと、……うん、ちょっとだけ」
「ごめんなさい」
 ちょっと離れたところで、俯いて座っている。両岸は再びひたすらにきらきらと光っている。
 この子が謝ることは何もない筈だ。私はおそらく、とても珍しいものを見たのだろう。多分奇跡と呼ばれるたぐいの。そう彼は確信して、抱き寄せて白い頭をなでた。柔らかくて心地よい、いつもの手触りだった。
「ううん、綺麗だったよ。……ありがとう」
「よかった。わたしの役目だから、でもこの舟をつくったのはせんせいだから一緒に来てもらうしかなかったの」
 予想通りの言葉を言ってにこ、と笑う様は、普段と何も変わらないちいさなうさぎめいた子供だった。
 天の川が流れる、さらさらという音――。

 軒端で笹の葉がさざめいていた。
 ちいさな恋人は腕の中で、いつものようにまるくなって眠っている。
 明け方の月を見ようと思い、彼は静かに起き上った。外に出ると天の川が遠くに見えた。
 さらさら、さらさらと笹の葉が鳴る。
 来年も笹舟をつくろう、と彼は思った。



たなばたにリクエストして書いてもらった作品です。
せんせいとうさについてはVirtual Machineのほうで展開しているのでそちらのほうを見てからのほうが分かりやすい感じもあり…。色々あって白氏村を追い出されたカジャさんを官能小説家のニコルさんが拾う話です。そこからいろいろ紆余曲折。みたいな

天の川とささぶねの描写がねーすごくメルヘンで好きです。うさがひさしぶりに不思議な子なところを発揮しているのもいい。(もともとこのうさは白氏村で神官というか巫女みたいなことをしていたのです)。それで最後がいつもどおりうさぎみたいにふにふにになってるのもかわいい…。