■□ ヘリオトロープ □■ 鳩野深透
20070817 『白氏アンダーグラウンド』収載




 吹き抜けの一階、エスカレーターの下に小さく白い頭が見えたので、いつの間に連れがそちらに行ったのかと訝ってニコラルーンは辺りを見渡した。
 大きく中が縦に刳り貫かれて開放的なショッピングモールの六階、気が合わない同士で買い物に来たとは言え勝手に帰るのは反則だろう。車のキーはどちらが持っていたのだったか。
 さすが空気の読めない白氏様、と充分に悪意のある発想をしかけ、
「あ」
 違った。
 吹き抜けの向こう、生活雑貨エリアに、同じく白い短い髪が見える。ニコラルーンは慌しく見比べた。あちらが今日の連れ、「同居人の大きいほう」ティーロ・ニザリだった。
 じゃあ、下のは?
 老人にしては動きがよく、白い頭は見る間に雑踏に紛れて行く。
「………あれ?」


――おい、何してるんだラフェール人。
 なんとなく教えずに行こうと思ったのだが、エレベーターに飛び乗ったところで見つかった。頭の中に直接声がした。
――確かに気が合わない同士だが、勝手に帰るのは反則だろう。空気が読めないラフェール人なんて、ミズスマシより価値がないぞお前。
 顔を上げれば遠く目線が合う。案外気が合うことを発見しつつ、
――いいから下、下。
 向かい側にいるティーロに、親指で吹き抜けの下を指し示した。
――あれ、君の兄上じゃない?
「なっ……」
 相手の動揺で、ニコラルーンは確信した。彼が兄を見間違うことがあったらナマズが降るだろう。エレベーターの閉ボタンを押した。カジャ・ニザリは今日は医学雑誌の人間と話をするとかで、確かにこの近くにいる筈だったが、遠目で見た彼の連れはおよそお堅い編集員とは思えない開襟シャツを着ていたので。
(クールビズ?)
 いやいや、そんな。これでも人を見る目はあるつもりだ。
 一階で降りると目的の姿は既に見えなかったが、向かっていた方向はわかっている。トレースするまでもなく大体の見当をつけ、彼は連れを待たずに歩き出した。


「……っていうかほんとに可愛らしいですね。そういえばおとといぐらいから流星群が来てるんだって知ってますか?もしかして君、その一つに乗ってきたんじゃないかな。きれいな星の色の髪をしてる」
「馬鹿者。人間があんなものに触れるわけがないだろう」
 ものすごく当たり前のことを真顔で言われて、男は一瞬沈黙した。
「そ、そうですね。あ、君、いくつ?」
 逆に子供っぽささえ感じて少々焦った口調になる。外見はこんなに完璧なのに。
「百五十歳だ」
……電波?
 ふわふわの砂糖菓子のような可憐な風貌で、相手は再び、大真面目かつ事も無げに言いきった。
「……えー、えーと。いや、十五歳はまずいんですよ。ギリギリ十八歳ってことで。駄目?」
「だから百五十歳だと言っているだろう。アイス頼んでいいか?」
「あ、ハイ」
 その言葉には威圧感と愛らしさとの絶妙なブレンドで、反射的に頷かせる何かがあった。
 うっかり承諾してしまったことに動揺する初対面の男を尻目に、彼はキャラメルリボンのアイスクリームを幸せそうに口に運ぶ。
 久々の上物だ。しかも世間知らずそうで、話をしたいと言っただけでついてきた。これならいくらでも丸め込めるような気がしたが、その言動のほうはどこかずれていて、男は少々先行きが不安になってきていた。
「打ち合わせが長引いて空腹だったのでな。うん、なかなか」
「打ち合わせ?何の?」
 彼はあどけない顔できょとんと見上げる。
「なんだ、君は取材じゃないのか?」
「取材?」
 あれ、こんなアイドルいたっけ?違うよなー可愛いけど違うよなー。
「取材なら本来事務所を通してもらわないとティーがうるさいんだが」
 あれ、マジで?
「……取材と言えば、あのですねー」

◇◇◇

「ちょっ、何話してるのか聴こえないんだけど」
 カジャと見知らぬ男が会話しているその隣のボックス席には、既にカップルが坐っていた。それを暗示でさっくり追い出し、ウェイトレスには不自然でないように自分たちを案内させ、ニコラルーンとティーロは気になるほうに背を向けて坐った。
 意味もなく顔がいい男が二人、ボックス席で向かい合わせではなく隣りあって坐っているというのは何やら異様である。しかもそこでは緊張感に充ちた会話が、声をひそめて交わされていた。
「どうやら……」
 ティーロは低く言う。
「兄さんはおなかがすいていたっぽい」
「………………何ソレ」
「あの人はおなかがすいてると判断が微妙なことになるんだ……」
 腹の底から溜息を吐いて、困った兄を持つ弟はコーヒーをすすった。
「ちなみに、砂糖使わないの?」
「いらない」
「ダイエット中のOLみたいだねー」
 あはは、と屈託なく笑ってさりげなく相手に打撃を与え憂さを晴らす。
「お前っ、自分はコーヒー飲めないからって……」
「あ、なんか言ってる」
「話をそらすな!」
――取材と言えばさ。
――付き合ってる人とかはいたりしますか?
 ソーサーにカップを戻すティーロの手が、慌しく上下して派手な音を立てた。


「つきあい?」
 正真正銘百五十歳の化けうさぎことカジャ・ニザリは、少女めいた顔に怪訝な表情を浮かべてじっと相手を見上げた。
 その正体を露ほども知らずに、男は思わず生唾を飲んだ。
 カジャは心の中で指折り数え思い出してみる。
最近ずっと断っていた甲斐があって××研究所のほうは打診がないし、○×大学のほうも付き合っているというほどのことではない。いや、この男は人と言ったか。そういえば隣人であるサラディン・アラムートは確か天才外科医だった筈だが、それより周りの人間にはただの解剖好きの変態として認識されている。彼となら個人的な友誼もあるが、それはちょっと伏せておきたい。
――別に意見交換などを活発にしているわけでもないしな、うん。
「……内緒だ。
 なんだ?騒がしいな」
 隣席では聞き耳を立てていた可哀相な弟が、今度こそコーヒーをこぼしていた。
「そっかそっか!じゃあ問題ないですね。あのね、ちょっと付き合って欲しい場所があるんですよねー」
「なんだ、どこぞの編集室か?」
「そーそー。ちょっと車乗るけど。すぐですから!」
 
「……眠い」
 なんだか都合よく用意されていた車に乗りこみ、カジャは小さく欠伸をした。
 さっきから矢鱈と頭が重い。今日は早く起きたけど、そこまで疲れている自覚もなかったのに突然眠くなったのはなんだろう。 
「いいですよ寝ていても。すぐですから」
「……そうか?」
「うん、そうそう。起きたら、いいところについてますよ」
 少しばかりとろりとしはじめた瞳で一度確認するように相手の顔を見、彼は華奢な背を座席にもたせかけた。
「……おやすみなさい」

◇◇◇

「………君さ」
 なんだか物凄く不機嫌になってニコラルーンは呟いた。
「兄さんにどーゆー教育してんの?駄目じゃん知らない男の車にホイホイ乗るとか!そういうのちゃんと教えておかないと駄目だよ!」
「僕に当たるな!あいつもう絶対殺す」
 リニアカーで前の車を尾けながら、運転席の空気はこの上なく険悪になっていた。
 情緒不安定な白氏などに絶対に運転を任せたくないという理由から、ニコラルーンがハンドルを握っている。
「ほんと、無防備っていうか、普段過保護過ぎるんじゃないの?」
「……基本的に兄さんが外出る時は僕が一緒だから」
「ほら過保護」
「でもっ、だから付き合ってる相手なんかいないはずだ!なんだアレ!」
「ほら、それは私わたし」
 片手をひらひらさせてニコラルーンは立候補した。
「黙れミズスマシ!むしろ死ね」
「ていうか本当、どこ行くんだろ……う……?」
 前の車は看板のない雑居ビルの、地下駐車場へと入って行く。
 うっかりいざということになったら、私がこの弟さんの暴走止めないといけないのかなあ。
 カジャ・ニザリの心配ももちろんのことながら、自分と張り合えるレベルのA級テレパシストの暴走を見過ごした場合の責任の所在を考えてしまい、一応連邦軍に籍を置くラフェールの要人は大分気が重くなりつつあった。

◇◇◇

 ところで、カジャ・ニザリに睡眠薬は効かない。
 というより、きわめて効き難い体質にある。
 一世紀を越える歳月を毒薬とウィルスの研究に注ぎ込んできた彼は、揮発した薬品の吸入や自らの身体を実験に供する行為などを重ねた結果複雑な化学反応を起こし、きわめて薬品関係に耐性の高い身体になっている。
 そういうわけで、本来二時間ほどの効果を持つ睡眠薬をアイスクリームに落とされていたにも関わらず、カジャは十分くらいで目が覚めてしまった。
 お昼寝してすっきり、おやつもらっておなかもいっぱい。
「……なんだここは」
 怪しい車の後部座席で、きょろきょろと彼は辺りを見回した。運転席には人がいない。どうやらここは地下駐車場で、そういえば、取材の男に付いて行く事になって……
「……あれ?」

 男は眠った獲物を運び出すために戻ってきた。
 久々の上物だ。珍しい白いやわらかそうな髪と、鮮やかなオレンジ色の瞳のお菓子のような外見。それだけでも希少価値が高いのに、顔立ちは更に愛らしく繊細だ。幼さを残した華奢な身体つきと相俟って、絶妙なバランスの上に立っていた。
――これは客筋を選べばえらいことになるぞ。
 胸を高鳴らせた時、静かに後部座席の窓が開いた。
「あれ?」
 睡眠薬、足りてなかった?
「おい、お前」
 声と共に車内から、オレンジ色の瞳がじっと見上げる。しまった、ここで手荒なことはしたくない。
「取材とか言ったな?」
「そ、そうですよー取材です。ちょっと待ってね、今準備が」
 世間知らずそうな相手を丸め込む材料を探して、慌しく脳裏のランプが明滅する。しかし、睡眠と空腹が満たされた彼の眼光は鋭かった。男は決して知ることはない、学会発表の際には全ての席を傲然と見渡して圧倒する視線である。
「――今の私のメインテーマ、『カナカナ』の開発について知っているのは未だ極一部の大学関係者だけの筈だ。まだ取材が来るなんて有り得ない。貴様、さては産業スパイだな。答えによっては出るところに出てもらおうか!」
「ええええええええええええ!?」
――カジャ・ニザリの思い込みの激しさは、実際彼の弟と比しても、勝るとも劣るものではなかった。

「はいはーい、そこまでね」
 ティーロが心配に反して兄の言動に脱力しきってしまったので、ニコラルーンはとりあえず手刀で男の後頭部をはらった。
「あれ、ニコラルーン?どうした、こんなところで何してるんだ」
「その言葉、百倍にして返すよ」
 倒れた男の頭を踏みつけ、車のロックを無造作に壊してカジャを出す。
「兄っ、さん!」
「うわ!ティーまで何してるんだ」
「知らない人がごはんくれるからって言ってもついて行っちゃいけません!」
「え、ご、ごめんなさい……?」
「初対面の人の車とか乗っちゃいけません!」
「兄さん小さい頃僕に言ってたでしょ!なんで自分は平気なの」
「帰ったらお説教だからね」
「こいつは通報しておくからね」
「あれ、産業スパイだからか?」
「ちーがーうー」

◇◇◇

「……お前たちがそんなに仲良くなったとは知らなかったぞ」
 疲れきった顔で家の主人は背筋を伸ばしたまま文句を言った。
「弟さんが不満げだよ」
「仲良くなったわけじゃないよ!」
 ティーロはガタガタと格子を掴んで揺らした。
「わたしを怒るときだけけったくするのか?」
「電波には一人で立ち向かっても太刀打ちできないことを知ったんで。あ、正座くずしちゃだめだよー」
 白い頭の上にもう一つスライムを乗せながら、ニコラルーンはそっと姿勢を正させる。
「……というか何してるんだ」
「スライム何個乗るかなって思って」
「落としたら今のお説教最初からだよー」